レッドフォレスト日記
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こんばんわ
富安です 今回アメリカにおいて悲惨な事件がおこりました まずその事件によって命を奪われた30名ほどの学生に追悼の意をひょうします 俺らと同じくらいの学生が将来を一瞬にして失い 死を恐怖と同時にまのあたりにしたことは想像しても想像出来ることではありません アメリカの銃社会の悪い部分を浮き彫りにする事件でした アメリカのライフル協会は 「人を殺すのは人であって銃ではない」と言って今も銃をもつことを権利の一つと言い張っています しかし俺は「人を殺すのは人であって銃ではないが人の心を壊すのはやはり銃である」と言いたいです どんなに小さな子供でも小さなナイフをもった瞬間それを使いたくなるのが人間です 最初は木を削り 次に昆虫を削り 動物を削る もしその小さなナイフを人に向けたら ナイフを向けた側はたいしたことないと思っていてもナイフを向けられた側は一生それを忘れることはできないことだってあるんです その小さなナイフの先には相手の将来と自分の将来 重い二つがのっているんです ナイフは例えですよ それが銃であれ言葉であれ 変わりません ニュースで見た銃マーケットで親が2歳くらいの子供にピンクの本物の銃を買い与える映像は衝撃でした その2歳の子は2歳にして殺人者になる可能性を実の親から与えられるのです やられる前にやりかえすという精神がそうしているんだと思います でもこの考え方からぬけだせない限り人は戦争というくだらない争いをやめはしないでしょうね 悲しいことです 肉親を殺されたら、恋人を殺されようとしたら そんなこと想像できないし 想像したくないけど そんなことがあったら自分はどうするでしょう その人を殺してでも守りますか? 正当防衛という言葉を使い私達は人を殺すことを認めてきました 戦争だって正当防衛です 愛する家族や愛する恋人を守るため 無差別に他の国の人々を殺す 浅井健一もいっていましたが 何がよくて何が悪いかなんてこの世の中には存在しないでしょう でもやはり人を殺すことは悪いことだと思っていたいですね やはり自分が死んでも人は殺さないという気持ちがないかぎり平和は訪れないんでしょうか? そして自分の幸せを求める人間がそのようなことを思える日がくるのでしょうか 確かに浅井健一のいうように 悲しみや絶望のない世界は美しいとはいえないかもしれないけど 人が死ぬのは寿命だけで十分です 十分すぎるくらい悲しみを与え絶望を与えます でもそれには一片の希望のかけらがまだあるから人間はそれを乗り越え生きていけるんです しかしまだ人生の半分もいきていない少年が死ぬことに希望はあるのでしょうか 30人あまりを殺し自殺した少年は何を考えていたんでしょう 彼の存在自体可哀相です では PR ![]() ![]() |
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